神社とお寺で巡る!:京王井の頭線 永福町

今回はお寺や神社で巡る永福町から西永福の歩き方をご紹介します!

目次

  • 永福稲荷神社
  • 永福寺
  • 大圓寺(大円寺)

永福稲荷神社

まずは永福町駅から徒歩6分ほどのこちら。

永福稲荷神社正面

歴史

1930年(享禄3年)に永福寺の開山秀天和尚が永福寺境内の鎮守として創建したと言われています。
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を祀っているため家内安全、商売繁盛、交通安全のご利益があるとされています。
当初は永福寺の鎮守として祀られましたが1639年(寛永16年)の検地で永福村(現在の永福町)の所有になり、明治維新後は永福寺と分離しました。
1878年(明治11年)に社殿を西向きに建て直し現在に至るまで町を見守っています。

近くで見ると石の鳥居と朱の鳥居で二重になっており迫力があります。

境内の様子

早速中に入ってみましょう。

中に入ってみると本殿の他に何やら小さい社が4つ。
これらは境内末社または枝社と言って神社の中にある小さな神社とのこと。

1枚目は菅原道真を祀る天神社、2枚目は左から白鳥神社(ヤマトタケル)、天王社(スサノヲノミコト)、白山社(イザナギノミコトなど)それぞれ日本神話に登場する神様にまつわる伝説や信仰が由来の神社があります。
ここに来れば一度に5つの神社にお参りできますね!

永福寺

次に訪れたのは永福稲荷神社から徒歩1~2分の永福寺です。

永福稲荷を出るとすぐにこの看板があります。

歴史

万叡山永福寺ともいい、1522年に秀天慶実によって開山されたと言われています。
1590年に小田原城落城から生き延びた北条氏の家臣、安藤兵部丞がこの寺を頼りこの地に帰農して作った村が現在の永福町のもとになっているそうです。
3度災害に見舞われますが、「検知書出」をはじめ20数点の文書が保存されており当時の歴史を知るための重要な資料として残っています。
永福町とこの寺の結びつきの強さが見えますね。

境内と周囲の様子

境内には子授け地蔵という名で信仰されている地蔵があり、また一度外にでて塀沿いに進んでいくと庚申塔という塔があります。
この塔は庚申信仰の名残で庚申(かのえさる)の日に眠ってしまうと人の体内にいる三尸(さんし)と呼ばれる虫が人の罪を天に告げてしまうだからその日は徹夜しようという日本の民間信仰の一つです。

大圓寺(大円寺)

最後にご紹介するのは大円寺です。

泉谷山大圓寺

歴史

永福商店街の中に溶け込んでいるこのお寺、よく見ると色々すごいお寺なんです。
まず開山は武田信玄の弟、諦巌桂察(たいげん けいさつ)和尚といわれています。
次に本堂をよく見ると徳川家の葵紋と島津家の丸に十字紋が刻まれています。
つまり江戸幕府の中心である徳川家と遠く離れた薩摩藩とも縁を持ったお寺なんです。
1673年に薩摩藩の島津綱久が江戸で亡くなった際に葬儀を行ってから江戸での薩摩藩の菩提寺となりました。
境内には戊辰戦争の戦死者、西郷隆盛の子供や、薩摩バンドと呼ばれる軍楽隊、他にも五井家、松平家、本多家、土方家など幕府有力者の墓もあり見所が盛り沢山です!

ここまでご紹介してきた場所を含め周辺の神社やお寺には案内板や、歴史などの解説看板が豊富なのでネットではわからなかった詳しい歴史がわかるかもしれません。歴史好きな方も神社やお寺巡りが好きな方におすすめのスポットです。

以上、今回は永福町駅周辺の神社やお寺をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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